【アークナイツ考察】納棺師ドゥーマについて

6月 5, 2022

▹さん(@waiomori)より掲載許可をいたただきました。

ドゥーマは、『孤島激震』に登場した納棺師。角や尾の特徴から種族はサルカズと推測される。

生い立ち

ドゥーマ

孤児であったドゥーマは、クルビアのマンスフィールド監獄にて前任の納棺師に拾われた。彼女は物心ついたときから監獄の中で育ち、一度も外の世界へ出たことがないという。

監獄という極めて特殊な閉鎖的空間は少女が生き抜くにはあまりに過酷な環境であるはずだが、不気味なオーラを纏うことで曲者ぞろいの看守や囚人たちを寄せつけない。

看守の冷酷さや囚人たちの憎悪・悪意・暴力といった、人が持つ負の側面を見続けてきた彼女であるが、外道に落ちることなく真っ直ぐで清らかな魂を生まれながらに宿しているのか、乱闘で怪我をした人間を治療するという博愛精神を持ち合わせている。

アンソニーとの関係

不気味とされるドゥーマのオーラに呑まれず、その本質的な精神の穢れなきことを見抜いたのか、マンスフィールド監獄へ投獄されたアンソニー(マウンテン)は、「この監獄で信用できる者といえば、彼女だけです」と言葉にしている。

知り合ってたった数年と言えども、利己主義を越えた信念を持つもの同士にしてみればそれは十分過ぎる時間であり、アンソニーは例え自らのポリシーが破られ、目的が潰えようとも、自らの命が途絶えようともドゥーマの命を救うことを決断した。

単純な話だ。私は自分の目的のために、ドゥーマを犠牲にしたくはない。
(中略)
たとえ、そのために私が命を失うとしてもだ。

孤島激震 MB-8 戦闘前 激戦の末

ドゥーマもまた、アンソニーのような優しさを持ちながらも芯のある人物を知らずに育ったため、彼という存在がドゥーマに与えた影響は計り知れない。監獄における交流の様子が『孤島激震』にてつぶさに描かれたわけではないものの、窮地の場面において自らの命を投げうってでも、アンソニーの行動が制限されまいと足掻くほどドゥーマはアンソニーのことを信頼していた。

総じて、ドゥーマとアンソニーは友情という枠組みを超えて尊敬し合い、自らの命を厭わないほど互いの存在を大切なものと捉えている。

外の世界と葛藤、睡蓮

『孤島激震』以後のドゥーマについて触れる前に、1つ作品を紹介。

マウンテンをはじめとするロドスオペレーターたちの脱獄を描いたイベント『孤島激震』には、『大脱出』や『ショーシャンクの空に』といったマンスフィールド刑務所をロケ地とした刑務所脱獄映画をオマージュしたポイントが多く見受けられる。

ドゥーマのような境遇のキャラクターが上述の脱獄映画に登場する訳ではないが、『大脱出』の舞台となった貨物という要素、そして一度も監獄の外の地へ降りたことがないという点に注目するならば、欧州とアメリカとを往復する大型客船に生まれ、その一生涯を船で過ごしたピアニストを描いた作品『海の上のピアニスト(英:The Legend of 1900)』に、ドゥーマの心情を探すことができるだろうか。

『海の上のピアニスト』の主人公ダニー・ブードマン・T.D.レモン・1900(以下、1900)は、豪華客船の一等席に置き去られたベビーバスケットから黒人機関師ダニーに拾われる。1900は8歳の頃にダニーを亡くした際、葬儀で流れた音楽に惹かれ、やがてピアノを演奏するようになる。

1900のピアノが奏でる音色は陸上で流行するような音楽とは異なり、乗客一人ひとりの抱える夢や想いを観察しながら即興で作曲され、聴く者の心をがっつりと掴む。その噂を聞きつけたジャズの生みの親とされるピアニストがピアノ演奏の決闘を挑むも、超絶技巧で演奏する1900の前に場は静まり返り、その一幕は却って1900の存在を世間に知らしめることとなった。

やがて1900は船でのレコード収録中、目の前に現れた少女に恋をし、彼女へ会いに行こうと上陸を決意するも、船のタラップで立ち止まり引き返してしまう。

時は経ち、世界大戦が勃発。戦争の末に朽ち果てた船は解体が決定し、ダイナマイトが仕掛けられるも1900はその身を船の中に隠し続け、決して降りようとはしなかった。

どれだけ説得されようとも決して船を離れようとしない彼は、陸へと降りようとした瞬間を思い返し、次のように述懐している。

見えなかったんだ。広大なあの街の終わりだけが。存在しなかった。あれじゃ最後に行きつく場所が分からない。
(中略)
行き交う通りの数だけでも何千何万とあった。その中からどう一つを選ぶんだ?愛すべき女性、住むべき家、手に入れるべき土地、見るべき景色、自分の死に方。世界が重くのしかかり終わりが見えない。考えるだけでおかしくなりそうだ。
君は平気なのか?僕は船の上で生まれた。世界を見てきたが、せいぜい一度に2000人ずつだ。皆、夢を抱えていた。それでも船の中に収まる数だ。

『The Legend of 1900Giuseppe Tornatore

1900は船を降りるくらいならば、自分は人生を降りるのだと口にし、船と共に1900は海に沈む。


アークナイツの『孤島激震』を振り返ってみると、ドゥーマが1900と同様の葛藤、そして外の世界へ恐怖心を抱いていることの分かるセリフが存在する。

看守たちの冷酷さ、囚人たちの憎しみや悪意、暴力、それに死……私は、それ以外のものを見たことがない。 都市に停泊する時に外に出てみたことはあったけど、私の居場所はそこにはないって感じるの。 私は外に出るのが……怖い

孤島激震 MB-6 戦闘前 計画の制定

納棺師という職業は、数多くの人の死に様を目の当たりにする。

死を見送る行為は、逆説的にその人の生きた軌跡を辿ることであり、物言わぬ静かな遺体は故人がどのような人物であったのか見送る者の心中に語り掛け、その人物に関するエピソードを再生させる。

意識が途絶える瞬間はあれども、厳密に人が”死ぬ”という瞬間は存在せず、ヒトは死という概念に向かってその身体を緩慢に変化させるのみ。そのゆっくりとした変化は残された者の心に絶えずメッセージを送り続ける。

そんな変化に区切りをつけるため、古来より人類は死に対して特別な儀式を用意することで、心の境界線を敷いてきた。

1900が船という閉鎖空間で限られた人数の夢を見てきたのと同じように、ドゥーマが監獄の中で目にする死の数にも限りはあるが、外の世界には数えきれないほど夥しいまでの”死”が存在する。

ましてやテラのような残酷な世界では、天災によっていとも容易く生命は奪われ、鉱石病に侵された遺体は周囲に新たな”死”をまき散らす。

監獄という束縛された環境に身を置き続けたいと思うことは、一見自由を知らないが故の思考に思えながら、その実、新たな悲劇に苛まれることが無いという意味においては、ドゥーマの外界に対する恐怖はひどくまっとうなものと言える。

しかし、監獄に残ろうとしていたドゥーマはロビンとの対話を通じ、外の世界へ飛び出すことを真剣に考える。

そして

あたしの知る限り、アンソニーさん脱獄の協力者には、もともと監獄の納棺師だったドゥーマさんに加え、ロビンという名の女性もいた。

孤島激震 MB-2 戦闘前 別の視点から

マウンテン、ロビンとロータスの登録を見届けた

カフカ第二資料

と表記があることから、ドゥーマはマウンテン・ロビンと共に監獄を抜け出し、「ロータス」としてロドスオペレーターに登録されたことが窺える。

ロータスの大陸版表記は「睡莲」となっている。「清純な心」という睡蓮の花言葉通り、医師である彼女はロドスに乗艦してからも持ち前の清らかな心で患者と接し、鉱石病に苦しむ人々を救う存在として活躍し続けるのだろうか。

テラ世界を生き抜くことは難しく、その大地は誰であろうと分け隔てなく、平等に命を奪う。

オペレーターとして未だ実装されていない彼女には、更なるエピソード…試練が待ち受けているかもしれない。

しかし、ロドスという新たな船へと乗船したドゥーマは、アンソニーをはじめとする仲間たちと共に、生命を運ぶ方舟の乗組員として、前へと進む。